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CBA日記

セラマネ第2弾「障害受容」を考える

 

 だいぶ時期がずれてしまったが、先週参加したセラマネコースで受けた講義の中で、もう1つコメントしたみたい講義があったので、報告する。「障害の受容に関する理論」と題した、国立身体障害者センター看護部長の粟生田友子さんの講義である。

 障害受容と言えば、その昔キューブラー・ロス、コーン、フィンク、上田らの段階理論を一生懸命勉強した。ショック期、否認期、混乱期、解決への努力期…などの段階を経て、受容に至る。しかし今世紀になって、受容論に対する批判を聞くことが多くなった。「障害を受容するかどうかは、その人の勝手」「受容を押しつけてはならない」など、障害者側からの批判を聞くこともあり、全くその通りだと感じていた。

 今回の講義を聞き、この領域の研究成果が大きく変化していることを知った。まず「段階理論」は、「プロセス理論」に変わっていた。またこれまでの受容論は、第3者が障害者を対象に調査して考え出したものであったが、当事者自身が語る受容論が生まれていた。「目から鱗」とはこのことである。プロセス論はたくさん議論されているそうであるが、私が理解した例をあげれば、1.前と異なった身体を知覚する(治ると思っている)、2.過去の自分と今の自分を比較する(治らないかもしれないと思い始める)、3.錯綜から現実への移行する(できることもあると感じる)、4.新しい自分を認知する(価値観が変容する)…というようなプロセスをたどる。「受容する」という内的な変化を強要するのでなく、「良い状態に至る」「安寧な状態である」ことを良いとする、ということなのかと思い、休み時間に先生に質問したところ、「そうなのよ!!」という答えをいただいた。

 受容に至る初期のプロセスにおいて「身体認知」が重要であることの指摘があった。障害を受容する前に、障害の認識が必要ということである。これは、実に説得力があった。高次脳機能障害や深部感覚障害は、障害認識をじゃまする。特に、ボディイメージ障害、麻痺の否認、障害の深刻性の無理解、など身体認知をじゃまする高次脳機能障害はバラエティに富んでいる。

 さて、私がコメントしたいと思ったのは、障害受容を考える上で認知機能の重症度を押さえておくことが必要なのではないか、ということである。そもそも障害受容を語るに足る認知機能があるかどうか、ということを確認しなければならない。CBAで軽度低下およびそれ以上の方は、受容という視点で考えることに問題はない。一方、重度低下者の場合、病気をした認識が損なわれており、受容という視点で考えることに意味が少ない。むしろ、不快、イライラ、理由が明確でない悲しみ・不安・怒りなどの負の感情を、どのように落ち着かせるのかという対応が求められる。中等度低下者については、難しいところである。脳の機能がまだらな状態を呈していることが多く、よくわかっていることもあるが、自己の状態を客観的にとらえることはできないことが多い。この状態で受容について語ることはできるのであろうか。中等度低下者の場合、正しく理解するということは難しいが、障害を受け入れて気持ちが安定する、という状況は想定できると思う。またそのような状態を目指していかなければならない。今回は、認知機能の重症度による障害受容の目的について考える機会となり、ありがたかった。

 麻生田さんの講義の締めの言葉は、「患者さんに“死んだほうがましだ”と言われたとき、どう対処するか、その技は個人にゆだねられるが、その技こそが重要である。PT・OT・STはそれぞれの技を発揮して専門領域の仕事をする、しかし患者さんの心が回復しなければ意味がない。」「受容とは、健全なあきらめ、ひらきなおり、受け止め」とのことであった。「死んだほうがまし」と言われたとき、その言葉を受け止める覚悟はあるか、この問いを自分に投げながら、今日もリハに向かっていこう。

(写真はセラマネ7期生の幹事の皆さんです。)

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