CBA日記への投稿をお待ちしています...。

​担当者:森田 秋子・山本 総

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CBA日記

あずまリハビリテーション病院のこと

名古屋に来て3年目に入った。来た年から、鵜飼リハと兄弟病院のような関係にあるあずまリハビリテーション病院にも、月に1日伺うことにさせていただいている。これまでほぼ毎月、1日6名の失語・高次脳機能障害の患者さまに関わらせていただいた。あずまリハには輝生会から管理者が派遣されており、昨年から来ているOTの小林利行さんは、年は違うが輝生会入職が同期で、気の置けない友人である。そういった影響からか、あずまリハを訪れた日は近所の抜群においしい焼肉屋さんに立ち寄るのがルーティーンになってしまった。 最近は小林OTの誘導もあるのか、私の臨床にPT、OTも同席してくれる。時に「じゃあ、歩いてみましょうか」ということになっても、対応してもらえる。情報が集まりやすく、問題点が見えやすい。患者さまのいい点も見つけやすい。これからどうしていこうか、という話になったときに、職種別の切れ切れの話に陥ることなく、包括的な方向性を考えやすい。ご家族が参加してくださることもある。このようなあずまリハでの時間に私は熱く燃えてしまい、患者さまとのやり取りにのめり込む。40分の患者さまとの直接的な関りのあと担当者との意見交換。若くて生きのいい熱いセラピストが多いので、またまたここでも盛り上がってしまう。「もう時間ですから、終わってください」と言われることもしばしばである。 前回伺った際に、心に残った話をお伝えする。自動車運転に関することである。ある軽症の患者様で、若く復職もかかり、ご本人は自動車運転のニーズが高い。よくあることであり、担当PTとSTが真剣に悩んでいる。その方は、麻痺はなく高次脳機能障害は軽症である。た

セラマネ第2弾「障害受容」を考える

だいぶ時期がずれてしまったが、先週参加したセラマネコースで受けた講義の中で、もう1つコメントしたみたい講義があったので、報告する。「障害の受容に関する理論」と題した、国立身体障害者センター看護部長の粟生田友子さんの講義である。 障害受容と言えば、その昔キューブラー・ロス、コーン、フィンク、上田らの段階理論を一生懸命勉強した。ショック期、否認期、混乱期、解決への努力期…などの段階を経て、受容に至る。しかし今世紀になって、受容論に対する批判を聞くことが多くなった。「障害を受容するかどうかは、その人の勝手」「受容を押しつけてはならない」など、障害者側からの批判を聞くこともあり、全くその通りだと感じていた。 今回の講義を聞き、この領域の研究成果が大きく変化していることを知った。まず「段階理論」は、「プロセス理論」に変わっていた。またこれまでの受容論は、第3者が障害者を対象に調査して考え出したものであったが、当事者自身が語る受容論が生まれていた。「目から鱗」とはこのことである。プロセス論はたくさん議論されているそうであるが、私が理解した例をあげれば、1.前と異なった身体を知覚する(治ると思っている)、2.過去の自分と今の自分を比較する(治らないかもしれないと思い始める)、3.錯綜から現実への移行する(できることもあると感じる)、4.新しい自分を認知する(価値観が変容する)…というようなプロセスをたどる。「受容する」という内的な変化を強要するのでなく、「良い状態に至る」「安寧な状態である」ことを良いとする、ということなのかと思い、休み時間に先生に質問したところ、「そうなのよ!!」という答え

春原則子さんと私

目白大学言語聴覚学科春原則子教授は、長い親友である。ひとり親で3人の子育てに追われていた私の、人生最大のサポーターだった。私たちの出会いは、STとしての初期の短い時間を、同じ職場で過ごしたことだったが、彼女は宇野彰先生を師として失語症研究の先端を走る研究者として育ち、30代が子育で終わった私は、その後教員となり藤田郁代先生の下で、失語症の基本的考え方を身につけた。 私が彼女を友人として誇りに思うのは、どんな時でもあふれ出る愛情に満ちた指導を貫く姿勢にある。手を焼かせる学生ほど、のめり込むように丁寧に関り、決して見捨てない。現場のSTへの指導も温かい。輝生会にいるころから勉強会などによく来てもらったが、はるか名古屋に来た今も、時々足を運んでもらいながら失語症研究に関わってもらっている。鵜飼リハの中堅STは、経験豊かで実力があるが、研究について指導を受けてきていない。春原さんの指導は、対応は優しいが最後まで(発表の直前まで)絶対に手を抜かず、「完璧」を目指す。そのわくわくするような緊張感の中で、STたちが水を得た魚のようにすくすく育っていくのをみるのが楽しい。 数年前より、春原さんと組んで失語症の講習会を開催している。この講習会のコンセプトは明確だ。昔の私のように、今の鵜飼リハのSTたちのように、臨床経験を持ちたくさんの失語症リハに関わってきているのに、失語症がわからないと感じている現場のSTたちに、彼らが失語症を「わかる」機会としてもらうこと。失語症はほんとうに難しく、そう簡単にはわからない。臨床はできるようになっても、失語症がわからないもどかしさ、苦しさ。これは経験した者にしか

失語症退院患者さまの集い「てくてくの会」に参加して思うこと

梅雨明けきらない7月の土曜日、鵜飼リハビリテーション病院を退院された失語症患者さまの集い「てくてくの会」第1回を開催した。ご家族を含む30名を超える方々がお集まりくださり、スタッフを含めると総勢60名近い参加者であった。初対面の方が多い中、開始当初から参加者の気持ちが1つになっていくのが感じられた。グループディスカッション後の報告会は、急きょ全員参加で行うことにしたが、病気をされてからのご苦労、痛み、そして前向きに生きていく明るさと強さを、それぞれの方が、ことばで、表情で、文字で、身振りで示してくださり大いに盛り上がった。最後は感動の涙、涙…であった。参加されていただいた若手スタッフにも学ぶことの大きい、ほんとうに素晴らしい1日になった。 これまで、幾度となく患者さまの会に関わらせていただいた。初めに働いた徳丸病院には開院の年に入職したが、翌年に退院患者さま5名をお招きして「退院患者さまの集い(のちにカンナ会と命名)」を実施した。その後20年以上継続して開催し、多くのスタッフはリハビリテーションの何たるかを、カンナ会から学んだ。地域で生活される患者さまから教えていただくことは、ほんとうに多い。徳丸時代、国際医療福祉大学時代と、失語症友の会にも関わらせていただいたが、自分が立ち上げに関わったのは初めての経験であり、感慨深く、嬉しく思う。今まで出会ったすべての患者さまへの恩返しのつもりで、務めさせていただいている。 会の運営の中核は、当院ST部門主任の小林瑞穂さんが担い、総責任者として大車輪の活躍で当日まで走り抜けた。そばで見ているのは楽しかった。失語症患者さまの集いを行う際に重要

セラピストマネジャーコース第1日を終えて

回復期リハビリテーション病棟協会が主催する、セラピストマネジャーコース第7期が始まり、担当委員として参加した。ちなみに私は第3期卒業である。年のせいか、久しぶりに聞いた講義の中で心に残る言葉が多い。 まずは、回復期リハ病棟生みの親ともいわれる石川誠氏の「回復期リハ病棟の歴史」の講義の中。「PTが、自分のリハ以外の時間に歩くことを許可しないのはだめだ」というのは、いつもの彼の持論であるが、今年は特に胸に響いてしまった。若いうちは自分の力に奢り、傲慢になることもある。しかし今になって思うのは、人に求められる最重要の資質は謙虚であること、だ。自分にできないことに向き合うことによってのみ、人は次の一歩が踏み出せる。 「リハビリテーションは自然科学と社会科学の融合である」。これもいつも聞く言葉であるが、心に残った。リハビリテーションは、人の体を扱う医学であり、生活や心を含む。PTは自然科学に近いのかもしれないが、OT、STは社会科学を含むであろう、というコメントもあった。リハは多彩である、と言い逃れることは簡単だが、構成要素1つ1つに責任を持つ覚悟はたやすくない。 「一番大切なものは、意欲」というのも、石川さんの口癖で、全く同じ意見だ。今回もっとも心に残ったのは、新人育成の話の中で出てきた「リハビリテーションは、人と人のぶつかり合いのようなところがある」という言葉だ。新人がすぐにリハをできるわけがない、という理由としておっしゃられた。リハ専門職として患者さまに関わる中で、一歩踏み込んだことを言わなければならない場面がある。その時はこちらの人間力をフルに発揮して対峙する。伝えたいと思う内容

リハビリテーション花の舎病院のこと

栃木県野木町にあるリハビリテーション花の舎病院とのお付き合いは、いつの間にか10年を超えた。国際医療福祉大学に勤務するころ、毎年たくさんの卒業生が就職し、その縁でST部門の指導に関わらせていただくようになった。ST学科8期生の平野絵美さんは、遠い昔の教え子で担任だった(ナ行とハ行の学生が私の担当だった)。学生時代のやんちゃガールは、今や見違えるほどの立派なリーダーSTである。発症間もない脳損傷のケース何百例に、これまで若いSTと一緒に関わらせていただいた。回復期リハ病棟の仕組みができた直後の時期であり、私自身ほんとうに勉強になった。 花の舎病院を含む医療法人友志会は、回復期リハ病院、老人保健施設、通所等の多施設を持ち、リハスタッフのローテーションを徹底して実施している。生活期施設での経験を経た中堅セラピストが再び回復期に戻り、しばしば一回り成長した姿を見せてくれるので、この仕組みは有効に機能していると思う。 最近はなかなかうかがえなくなったが、ときどき呼んでもらって臨床指導や勉強会を行う。久しぶりに伺った7月某日、失語症事例4例の方に関わらせていただいた。発症から間もない失語症者の認知機能の見極めは、いつになっても難しい。わけがわからないことを言って怒っているように見える人が、本人なりの理由があっていらいらしていることは少なくない。一方、はっきりとした理由があると思っていたが、不快から来る情動的反応や漠然とした不安が原因の場合も少なくない。どの程度理にかなった理由があるのかを、ていねいに探っていく。協調的に共感的に、本人の苦しさに寄り添いながら「何がどう納得できないのか」を探る

CBAが評価しているものとは何なのか?

「CBAが評価しているものは、何なのか」ということについて、考えさせられる事例に出会ったので、記述してみたい。 事例は退院後1年経過した、80代の大腿骨頸部骨折後の患者さまであった。若手PTが訪問リハに同行し、退院後の変化を確認させていただいた。 「森田さん、よくなっていました!」というのが、彼の開口一番。独居で帰られたが、退院時は十分な能力を取り戻していたとはいえず、不安があった。認知面はMMSE23点、CBA23点、ADLは何とか自立であるが、ふらつきがあり屋外行動は十分自立とはいえない。買い物に行くことも含めた設定での退院で、介護保険サービスを頼り、何かあれば設定の変更を考えなければならないことも視野に入っていた。それが1年後、元気に生き生きと地域で生活されていた。タクシーを使いスーパーへ買い物に。地域の人との付き合いも病前通り。入院中のやや不穏な状態は影を潜め、前向きに計画的に、楽しそうに生きていらっしゃった。 「感情と、注意と、判断が1点ずつあがって、26点になっていました!」と、訪問同行したPTの弁。素晴らしい評価である。でも、ここで確認しておくべくことがあることを感じた。CBAが評価しているものは何であろうか、ということである。この方は、入院中に問題行動があったという。何かというと「他患者さまにお菓子を配る」ことであった。病院としては、これは許可できず、禁止しても続行されたことから、判断力は十分でなかったといえる。しかし、他者と関わる力が高いことがこの方の利点であり、退院後も地域の人々との良い交流の中で社会生活を営み、一人暮らしの続行を可能にしたのは、この力に寄る

岐阜県言語聴覚士会の学術講演会でCBAの話をさせていただきました

岐阜県言語聴覚士会の学術講演会にお招きいただき、CBAについてお話しする機会をいただきました。多数の言語聴覚士に加えて、作業療法士、理学療法士の方も参加していただき、講義後には活発な質疑応答の時間を持つことができました。 脳損傷後の認知機能の低下を的確に評価することは難しい、と感じている方は多いと思います。講演会では、ビデオで実際の患者さまの様子を見ていただきながら、評価のポイントを考えました。CBAは、まず意識と感情をしっかり見ることを提案しています。しっかりと表情を見て、日ごろ見逃しがちな目線の方向、瞼の開き具合、表情の緩みやしまり、声かけに対する反応の速さ遅さなどのポイントに、ビデオを見ながら気づいていただきました。注意や記憶を評価することはなかなか難しいですが、なるべく具体的な例をもとに、「何点くらい」と考えることを提唱しました。 発症からの経過とCBAの変化をたどっていくと、何が変化してどのように改善していったのかを感じることができます。時期別に得点化して重症度を導き出すことによって、状態の変化を明確にとらえることができることを体感していただきました。 終了後の質疑応答では、前院からの紹介状に「高次脳機能障害」と書かれていることで、スタッフがその字ずらの情報にしばられてしまう現状が伝えられました。発症直後の高次脳機能障害は刻々と変化し、症状は多様であるのに、診断名から固定的なイメージを持ってしまうことで、患者さんに合わせた関りをしていくことが難しくなります。CBAを用いて、高次脳機能障害を実際の症状に沿って柔軟にとらえることによって、その状況を改善させられる可能性があ

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